阪神淡路大震災
阪神淡路大震災から28年が経った
私は体験していないが、阪神間に住むことになり、地元の人たちとの会話で
未だに「震災の前は」「地震の後に」などと言う言葉をよく耳にする
1995年の震災の前後で、この辺りの暮らしや街や経済が、いわゆる「ビフォーアフター」になったのだという印象だ
震災の度に思い出す話がある
何年か前、同僚との新年会で遅くなり、新年の明るいお正月気分でタクシーに乗った
乗ったのが北新地という繁華街だったので、男性の運転手さんの
「私も昔は、よく飲んでましたよ〜」と問わず語りが始まった
「お商売されていたんですか?」と聞くと
「そうなんですよ、色々あって、タクシーにたどり着きましたよ」
との言葉に、経営がうまくいかなかったのかなと想像し、何か聞くのも失礼かなと、そのまま、運転手さんの話を聞いていた
かなり羽振りが良かったようで、豪遊したり、いわゆるタニマチ的にスポーツ選手と飲んだり、と、なかなか聞き応えのある昔話が続き、興味深くずっと聞いていた
30分くらい過ぎ、高速を降りたので、わたしの家までの道を伝え、そろそろ降りるなあと、眠気もあり、ぼんやりしていると
運転手さんは「私ね、○○町に住んでたんですよ」と、私の家の近くの町名を言った
「あ、そうなんですか…」
「震災でね、家が潰れてしまって。嫁と娘、母親がそれで死んで、もう生きる気力無くなって、仕事も結局うまくいかなくなって、酒ばっかり飲んでたからねえ、あの数年は何していたか覚えてないよ」
あまりにも衝撃的な話に、驚き、動揺していると、ちょうど車が、その町の近くに差し掛かった
「来たくなかったんですよ、この辺り」と運転手さんが苦笑いしている
「すみません…」と言うと
「お客さん、悪いんじゃないから。でも来ないようにしていた」
と、私にではなく、自分の気持ちを整理するように運転手さんはお一人で
ご家族の話や自分が辛かったという話を続けていた
何より印象的だったのが「何もできなかった 自分だけが生き残った」
というご自分を責めるような言葉だった
私はたまたま来たタクシーに乗っただけだが、申し訳なかったと思い
家の前に着いた
運転手さんにかける気の利いた言葉も見つからず
、お体気をつけてくださいねとありきたりの言葉しか言えずに、料金を払って降りた
正月気分どころか、今のは幻だったのかしらと感じるように、あっという間に、そのタクシーはいなくなってしまった
その○○町は今では、もちろん震災の影もない綺麗な街並みだが、今でも通りかかると、運転手さんのことを思い出す
きっとたくさんの方が、運転手さんのように震災によって人生が大きく変わってしまったのだろう
改めて人生や人間の営みが儚いことを感じる
年初に近しい人の訃報があり、今年はいつも以上に生きていること自体が実は偶然で奇跡なのかなと感じている
またその意義を考えたい気がしている
そのタクシーに乗って以来、経験していない私ではあるが、震災が身近になった
そして、震災の日には運転手さんのご家族や亡くなった沢山の方のご冥福と共にあの運転手さんのことを思い出す
頑張れ、とは言えないけれど、心安らかな日々を送られていたらいいなあと願う
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